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あの昭和の日から幾星霜。東池袋大勝軒は50年を迎えました!!


 今でも多くの人たちから愛され、支持されている「東池袋大勝軒」が、この6月6日50年を迎えました。
 思えば、「東池袋大勝軒」の歴史は、東池袋にある大勝軒というラーメン店主・山岸一雄さんと、その山岸さんを支える人たちの“縁と絆”というドラマの歴史でもあります。

0609_1_2  昭和9年、1934年4月28日に長野県中野市で生を受けた山岸さんは、早くして戦争で父親を失い、一家の主として働かざるをえなくなり、中学を卒業と同時に集団就職で上京ということになりました。
 東京の向島で旋盤工として働く中で、従兄弟Sさんの熱心な誘いで心を動かされた山岸さんは、Sさんと共に、阿佐ヶ谷にあった「栄楽」で修行をスタート。その年、Sさんと一緒に独立し中野に「大勝軒」オープン。1951年、昭和26年のことでした。
 さらに、その3年後にSさんは代々木上原「大勝軒」をオープン。山岸さんは支店となった中野「大勝軒」店主となって、ここで現在のつけ麺の元祖である『特製もりそば』を考案。

 そして、その10年後の昭和36年、1961年6月6日。中野大勝軒から出た山岸さんは、東池袋に「大勝軒」をオープンさせたのです。山岸さん独自のこだわりの味を探求して「中華そば」と「特製もりそば」の味を完成。これが大評判となり、数々のメディアが取り上げたことで、日本全国からその味を求めて店の前に並ぶ大行列が始まったのでした。その一方で、山岸さんに学びたいとの志で、弟子入りする職人が急増。
 ところが、親愛する奥様を病気で亡くされ、麺造りに対する情熱を失い、長い間、休店することになったのです。が、熱烈な大勝軒ファン、山岸さんファンが“休業”と書いてある貼り紙に、びっしりと隙間なく山岸さんに寄せたエール。これに心を痛く打たれた山岸さん。一念発起して店をオープン。弟子たちがそれを支えました。

 0609_2_2時は流れ平成19年、2007年3月20日。東池袋再開発計画により、立ち退きを余儀なくされて、多くの人に惜しまれつつ東池袋大勝軒本店は幕を 降ろしたのです。ラジオ、テレビ、新聞、週刊誌、海外からもマスコミが駆けつけ、日本全国に東池袋大勝軒がニュースとなり駆け巡りました。ひとつのラーメン店の閉店にヘリが飛んだことも異例。初めてのことだったと思います。
 そして、翌年の平成20年、2008年1月5日。東池袋大勝軒、山岸さんの味を、と願う地域の住民、そして多くの支持者、熱烈なファンの後押しで、旧本店から大通りを挟んだ場所に、「東池袋大勝軒本店」として復活したのです。
 山岸さん直接伝授した東池袋大勝軒の味は、現在、二代目店主、飯野敏彦さんによって受け継がれています。
 雨の日でも本店の入り口前で、訪れたお客様を最高の笑顔で出迎える山岸一雄さん。地方から訪ねたファンには、たまらないひと時、温もりのあるお土産でもあります。0609_3_2  山岸一雄さんが上京してから幾星霜。半世紀を過ぎても、麺造り、究極のスープの味を求める情熱は、77歳を過ぎても失っていません。
 頑張れ山岸さん!頑張れマスター!東池袋大勝軒党はいつまでも応援します。0610