ある瞬間、月が赤く見えるときがあります。ご存知でしょうか。月が出始めの頃、或いは、月が沈みかけの頃に、月が赤く見えることがあるらしいのです。科学的には水蒸気が空気中に多かったり、大気中のチリなどによって、青の光が失われることにより、月が赤く見えるようです。
なかにし礼さん書き下ろし「赤い月」は、一人の女性が幾多の苦難に遭遇しながらも、異国の地で、力強く生き抜く姿を描き、降旗康男監督・映画「赤い月」となって公開されました。
私は、過去に1度、新潟で赤い月をみたことがあります。なんとも幻想的なシーン。新潟競馬場からの帰り、新潟空港から見えた夕日、新潟港から見えた夕日、これらのどのワンシーンよりもそれは感動的でした。
新潟古町、名曲「新潟ブルース」に出てくる古町通り。古くから栄えた繁華街で、バブルの頃は、朝まで人人で大変な盛り上がりをみせていました。ところが、平家物語のあの有名な冒頭部分ではありませんが、この世の中は常に変わっていき、盛んな者は衰えるが如く、まさに「盛者必衰の理をあらはす」なのです。夜も8時を過ぎると、古町のセンターモール街は、シャッターも降りて、歩く人もまばら。バブル期の面影はありません。ただ、だれも観衆がいない路上ミュージシャンの甲高い声だけが、モール街を切なく響き渡ります。
モール街の中央、ホテル金寿あたり通りを右手に折れると、スナック&パブの店「ソンブレロ」があります。ここはママが一人で切り盛りしている店で、このママは実に情が深い方なのです。それゆえ、ママのサポーター的古くからのファンも多く、同じ週の同じ時間に行くと、同じような顔ぶれの方に出会います。私も二十数年、新潟開催のシーズンは、定期便のように競馬仲間と通い詰めています。
ママの人生論に、そうだそうだと相槌をうち、ママの地元ならではの手厚い料理と、プロ顔負けの驚きの歌唱力に耳を傾ける。楽しい新潟の宵は瞬時に過ぎて行きます。
ママはその人柄の良さゆえ、人に騙されて店が苦境に陥ったり、そして熟年結婚、離婚。更には、店から戻ると自宅がもらい火で大変な被害。そして生死を分ける大病。未だに病気と闘いながら、今日も笑顔と歌と、手料理で我々を歓待してくれます。
なにし礼著「赤い月」の主人公の女性が、ここ新潟にもいました。
新潟は今回の中越沖地震で、大変な被害を受けました。不幸にして亡くなられた方、大怪我をして入院されている方。家が倒壊したり、危険があって生活できない方たちも9000人以上ともいわれています。新潟は中越地震から月日が浅く、被災者の方の傷も癒えていません。東京電力・柏崎刈羽原発事故での火災、そして放射の漏れ、事故隠し。近隣の住民の方、県民方々の声にならない声まで、耳に響いてくるようで胸が痛くなります。なんとか1日でも早く回復、立ち直られるよう祈るばかりです。
各方面での義援金が始まりました。田中勝騎手、蛯名騎手、後藤騎手は、今回の新潟で1勝ごとにその進上金の一部を、義援金に回すそうです。私たちもなんとか協力してみませんか。よろしくお願い致します。
新潟の赤い月をみたことがありますか!?
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