日経新春杯です。結果は進境著しい良血4歳馬のルーラーシップが圧勝。脚質にも幅を増して、好位置からアッサリ抜け出し、後続に2馬身差。今年の活躍が大いに期待されるところです。
2着にはクラシック路線で活躍してきた同じ4歳のヒルノダムールが差し込みました。単勝2・0倍のローズキングダムが、直線でうまく前に出られず、追い出しが遅れて3着に敗退。レース中、ヒルノダムールがローズキングダムの外側に並んで牽制し、ローズを外に出させない作戦。ローズは仕方なく直線でイン狙い。この作戦が2、3着を分けた印象があります。
この日経新春杯で信じられないことが起きていたのです。実はローズキングダムのハンデが58K。これはどう考えても軽すぎたのです。近年、58Kを背負った馬は、例えば一昨年のアドマイヤモナーク(当時8歳)で、直前の有馬記念が14番人気でダイワスカーレットの2着。ジャパンC12着、その前の天皇賞・秋が12着。
5年前のマイソールサウンド(当時6歳)も日経新春杯で58K背負ったのですが、マイルチャンピオンシップで13着、鳴尾記念4着からの参戦でした。
そんな程度の成績の馬が58Kのトップハンデ。それに反して、ローズキングダムは皐月賞4着、ダービー2着、菊花賞2着のクラシック実績に加えて、GI朝日杯FS1着、ジャパンC1着。GI2勝なのです。なかでもジャパンCでは、世界の馬を相手に頂点に立った事実は、前記した58Kの馬に比べると飛び抜けた実績の存在なのです。そんな日本を代表する馬が何故58Kなのでしょうか。
聞くところによると、きゅう舎サイドでは「58・5K以上では出ない」ということを耳にしました。それじゃ困るということで、58Kで出走を暗に促したと、とられても仕方ないかも知れません。もちろん、これが事実だとすれば言語道断です。
更に問題は、このローズキングダムの58Kというハンデに対して、57Kのハンデで戦うことになったナムラクレセント。わずか1K差。最高のパフォーマンスを演じた3年前の菊花賞で3着。GⅡはおろかGⅢさえ勝っていない重賞未勝利馬なのです。それも、前2走が福島記念7着、中日新聞杯6着。いずれもローカルのGⅢに出て凡走。しかも、この2戦はハンデ戦で57Kを背負っていたのです。日経新春杯はGⅡなのにGⅢと同じハンデの57Kは誰が考えてもありえないのです。
ありえないといえば、56Kで日経新春杯に出てきたホワイトピルグリム。ジャパンC優勝馬とわずか2K差のハンデ。これには呆れました。これもナムラクレセントと同様に重賞未勝利。GIに出走したことが1回(菊花賞7着)で、唯一のベスト・パフォーマンスが一昨年のGⅡ金鯱賞で3着だけ。日経新春杯の前2走が小倉記念6着、新潟記念15着。いずれもGⅢで56Kのハンデ。ゆえにナムラクレセントと同様にGⅡの日経新春杯ではありえないハンデなのです。
また、5歳以上の日経新春杯の馬でも、中日新聞杯が56Kで16着だったメイショウクオリアが日経新春杯でも56K。同じ中日新聞杯は54Kで7着だったドモナラズが、やはり54K。同じ中日新聞杯で54K=10着のオートドラゴンが54K。登録だけだったトーセンキャプテンが直前のディセンバーSを57Kで11着。その前の大阪―ハンブルクCが57Kのハンデで3着。で、やはりハンデが57K。
これらのことから推察すると、5歳以上の馬はGⅢであろうと、その時の成績に関係なく、まったく同じハンデを背負わされたということになります。
日経新春杯の結果は、勝ち馬から5着のホワイトピルグリムまで1秒3差。最後尾のメイショウクオリアが4秒差。世界に誇る日本のハンディ・キャッパー。今回の日経新春杯のハンデは、一つの汚点として後世に残りそうです。
ちなみに、昨年の各馬のJPNレーティングがJRAから発表されました。ローズキングダムが3歳部門120で2位。4歳以上のナムラクレセントは110で41位。トーセンキャプテンが104で98位。ハンデ戦に生かされないこの数字は、いったいなにを物語るのでしょうか。
Archive for 競馬
歴史上の汚点か日経新春杯の理解に苦しむハンデにがっかり!!
それは競馬最後の日、降りしきる雪の中で伝説となったある女性騎手の涙・・(T_T)
「ああ、これで終わりなんだな・・と思うと、涙がどんどん溢れてきちゃって。周りを見たら、みんなも泣いているんですよ。それを見たらまた涙、涙でしたね・・」と、語る元高崎競馬の女性ジョッキー、赤見千尋さん。
TBSラジオ「アベコーのモリもりトーク」この日のゲストは、グリーンチャンネルなどの競馬番組で活躍中の赤見千尋さん。以前からサークル仲間で気軽に話ができる気さくな女性。
「赤見千尋といえば、元高崎競馬のジョッキーで、今も伝説として残っているあの高崎競馬廃止、最後の日にレースに乗っていたんですよね」と私。
「はいそうなんです。今でも思い出します」と赤見さん。
「もうどのくらい経ちますか?」と江藤愛アナ。
「あれは2004年の12月31日でしたから、ちょうど6年ですかね」と赤見さん。
「もう6年ですか。あの日は最後の日だというのに、すごい雪が降っていましたね・・」と私。
「ええ、かなり降っていました。それでも雪の中で真っ白になりながらも、たくさんのお客さんが応援に来ていただきました」と赤見さん。
続けて「午後に入るとますます雪が多くなって、危険だからということで、途中で打ち切りになってしまったんですよ。でも、私の馬が勝っちゃいました」と、にっこりする赤見さん。
「おお、そうでしたね。本当にラストランを決めちゃったんだよね」と私。
「わあ、そうですか、それは凄いですねー」と江藤アナ。
「優勝したからやったー!という気持ちなんですが、周りを見たらみんな泣いているんですよ。助手さんやきゅう務員さん、そして高崎の仲間のジョッキーも。みんな泣いているんですよ。そうしたら涙が止まらなくなっちゃって・・。更に雪が降りしきる中で、スタンドから大きな声で応援してくれたファンのみんなも泣いているんです。もう忘れられませんね」と赤見さん。
「あの頃は、NHKの朝の連続ドラマで、高崎競馬場で働く騎手、きゅう務員、調教師などをモチーフにしたドラマがありましたね」と私。
「ええ、ありました。ファイトですよね」と赤見さん。
「ヒロインは本仮屋ユイカさん。恋の相手となる瀬川亮さんとは中のいい知り合いなんです。競馬も好きだし・・」と私。
「そうなんですか、カッコいいですよねー」赤見さん。
「で、一つの競馬場が幕を降ろすということは、もの凄いことなんですよね。調教師、調教助手、きゅう務員、そして騎手。それぞれ家族がいるじゃないですか。みんな競馬一筋でやってきて、お正月前にポンと寒空に投げ出されるわけだから・・。手塩にかけた競走馬も処分されちゃいますし・・。足利競馬も宇都宮競馬もそう。みんな最後は言葉に出来ないほど悲しい別れでしたね」と私。
「本当にそうでしたね。高崎競馬の仲間たちもみんな頑張ったんですけど・・。辛かったですね」と赤見さん。
「アベコーさん、実は赤見さんは競馬のキャスターなどで頑張っているのですが、なんと漫画の世界にも足を踏み入れたということなんです」と江藤アナ。
「ええ、漫画の連載をさせてもらっています」
「漫画『優駿の門アスミ』ですよね」と江藤アナ。
「ほとんど私の実体験からストーリーは出来ているんですよ。だから高崎のジョッキーだった人たちの名前も実名で登場していますよ」と赤見さん。
「本人から苦情はきませんか。これは違うとか」と江藤アナ。
「多分、大丈夫だと思います。とにかく前からやりたかったことだし、たまたま漫画家の早川恵子さん、監修をしていただいた、やまさき拓味さんといった素晴らしい人に出会ったことが、この優駿の門・アスミの単行本を発行できることになったんです。お二人にはいっぱい感謝しています」と赤見さん。
「前からやりたいことをやりたかったというと、今年の春からなんと大学生。早稲田大学に入学することが決まったんですよね」と江藤アナ。
「はい、フフフ、アラサー女子大生として頑張ります!」
「なんでも学ぶということに年齢はないからね。でも、すごいなー、千尋ちゃん。感心しちゃった」と私。
「あのー、今、南関東の競馬で活躍中の浦和競馬所属、水野貴史騎手から、千尋さん宛にメールが届きました。読みますね。同じ高崎競馬の同士として身体に気をつけて頑張ってください。応援しています。たまには一緒に一杯やりましょう、というメールでした」と私。
「ありがとうございます。でも、水野先輩、以前、食事に行きましょうよ、と誘ったら時間がないとかで、断られちゃったんですよ。先輩、今度は絶対ですよ!」と赤見さん。
番組終了後に赤見千尋さんから私の携帯に「本当にありがとうございました。アベコーさんのお陰で、すごく貴重な経験ができました。両親も喜んでいます。ありがとうございました」というメール。気遣いのある優しい女性なのです。