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驚き!これが「2」抜きサマージャンボ宝くじ

 先々週のことでした。当日は打ち合わせがあり、池袋に行っていたのですが、駅に向かう途中、なんとも不思議な口では言い表せないような感覚にとらわれていました。
曲がり角にさしかかると、必ず人がパッときてぶつかりそうになるのです。あるいは、走ってきた人と接触しそうになったり、置いてある自転車にドンといったり、何かよく当たるのです。
 そうこうしていると、三越百貨店横に出てきました。そこに宝くじ売り場。そこの売り場にいた一人の妙齢の女性が、「サマージャンボいかがですか。本日最終日ですよ」と、通りかけチラッと横目で見た私に、ささやいてくるのです。
 「うむ、宝くじかあ~、何、最終日と。今日が最後。まあ、当たらないからなあ・・」と思いつつ財布に手をかけていました。というのも、今日は妙な日で、よくぶつかりそうになっている、ぶつかる、当たる、うん、宝くじも当たる、という流れるような先走り感覚で、宝くじ真一文字に走っていたのです。
 ところが、そこの妙齢の女性が神妙な顔つきで、こう切り出してきたのです。
 「お客様、申し訳ございません。あるものが売り切れてないのです。それは、末尾の番号が【2】なのです。それでも良かったら・・」
 「末尾2がないのですか、そうか2がないのか。どうしてですか?」と私。
 「いやあ、先程、来られたお客様が、末尾2のくじを、あるだけ全部下さい。といって全部買っていかれまして。600枚くらいありましたよ」
 「う~む、何かひらめきがあったのかな・・。よし、こっちとらもひらめきだい。2なんか怖くないぞ」と、自分自身を鼓舞。ひょいと横から顔を出した中年の女性客にも向かっても、
 「末尾2なんか来ませんよ。大丈夫です大丈夫!」と、セールスしている私がいたのです。
 かくして、翌週の8月16日のサマージャンボ宝くじの当選番号の抽選。はたして結果はと、気になるのは末尾【2】の番号。注目の1等賞が、なんと91組122762。おお、末尾2です。30万円が各組共通の161392で、ああ、そして末尾2が的中!(主催者発表のものと照合下さい)

 その末尾【2】を買いあさっていた人とは、いったい何者!?ひょっとして1等賞も?是非、教えを授かりたいものです。

070822

インフルエンザ・開催中止に寄せて

 それは突然でした。16日、内外タイムスのレース部のМさんから、携帯が鳴り「アベコーさん美浦でインフルエンザが出たらしいんですよ」と。
 そういえば、さっき非通知で連絡が入り、音声が聞き取り辛かったので、あまり気にも留めていなかったのだけれど、そのことだったのか、と納得。
 「4頭確認されたということですが、開催中止も含めて現在、JRAと農水省が会議しているらしいのですが、その結論を待ってから発表するとのことです」とМさん。
 これは大変だ!開催中止になったらどうしよう。グリーンチャンネルの「データでVANVAN」の番組が金曜・土曜と入っているし、実際、その番組用のデータの仕込みを調べて納得できたものが出来上がったというのに。ああ、携帯サイトの中止のお知らせと、お詫びをしないといけないし、メールマガジン「ウマステ」も原稿を書いて、その校正も終えて配信待ちの状態。
 と、ほどなくして、農水省との会議が終わり、出走馬一覧表が出るとのことです、連絡を受けたまでは良かったものの通常より2時間近い遅れで一覧表が、FAXから顔を覗かせてきました。
 さあ、それからが戦争状態。データでVANVANの電話で打ち合わせ、番組用、土曜、日曜の札幌記念を含めての新潟メイン、小倉メインの予想。ナイガイ紙の一面の予想、原稿の作成。携帯サイト、メルマガ「ウマステ」の再開連絡。
 そんなこんなでバタバタしていたところに、VANVANのJディレクター氏が、金曜分の打ち合わせ、データの仕込みをほぼ終わったところで、
「アベコーさん、明日の出馬は一応、条件付きらしいですよ。これ以上感染しないという但し書きが付いているんです」
 「ええ、そうなの。まだ安心はできないんですね」と私。早速、ナイガイ紙にも連絡を確認。「えっ、そうなんですか。じゃあ、まだ分からないんですね」とМ氏。
 それでも、枠順付き出馬表が出る予定で、携帯サイトの新潟、小倉の予想と、原稿を夜中に一心不乱に没頭。ほぼ完成したのがもう朝の5時。
 そして、すべてをかき消す携帯の着メロが鳴り響いたのが金曜の早朝。М氏から連絡で中止が決定したとか。
 JRAの8月17日午前9時発表は、今週の出走を予定している競走馬163頭全頭について検査。うち29頭がインフルエンザに感染(発熱1頭)が認められた。感染拡大の防止から今週のJRA全場の開催を中止とのこと。前日の20頭と合わせて49頭に拡大。
 結局、また振り出しに戻り。当然のことながらナイガイ紙や携帯の予想と原稿は、お蔵入りとなったのです。
 グリーンチャンネルのJディレクター氏も「今回は残念です。」とポツリ。きっと徹夜でタイムテーブルを作り、放送作家さんと私の予想から、データを調べ上げて台本を作成していたんだろうな、と何か申し訳ない気持ちにさせられました。

☆私の人生を変えたあの年、あれから35年

 1971年、年が押し詰まってきた頃、インフルエンザがもの凄い勢いで拡大。この年の有馬記念も出走予定馬が次々に回避。わずか6頭立ての有馬記念となり、女傑トウメイが優勝。同じ頃、大井競馬は開催中止に。年が明けて1972年、昭和47年。大井競馬場で90パーセント以上が感染。中央競馬も金杯が行われる1回、2回東京が開催中止に追い込まれたのです。2ヶ月も開催がないと大打撃を受けたのが他ならぬ競馬専門紙。それは死活問題でした。
 このとき、きちんと給料が支払われ、賞与も出たというのがホースニュース・馬社。このことが第一の要因で、当時、私の保証人となり、馬社を勧めて頂いた馬主協会の会長の手塚栄一さん。今にして思えば、皮肉なことにインフルエンザがなければ、私がホースニュース社に入社することはなかったかも知れません。
 この年の4歳(現3歳)は、史上空前の最強世代。ダービーでは武豊騎手の父、武邦彦騎手を背にロングエースがランドプリンス、タイテエムを抑えて優勝。菊花賞がイシノヒカル、有馬記念もイシノヒカル。この世代は後々まで数々の重賞をさらっていきました。1年後輩のハイセイコーやタケホープが、どうしても敵わなかったのが、世に言われた、走る哲学者ことタニノチカラ。この馬も47年組でした。もう、35年も前のことです。 
 
 当時と規模は違うとはいえ、インフルエンザで開催中止になったことで、一日も早い感染の遮断と、縮小、原因の究明、そして感染馬の早期回復を、一人の競馬ファンとして願っています。