現在の4歳牡馬世代では一番強いと考えていたナカヤマフェスタが、宝塚記念を見事に制しました。GI初制覇です!
元々、私は現在の牡馬4歳世代では一番強いという思いがあった馬で、必ずやGI制覇を するだろう、と考えていました。
というのも、昨年の日本ダービーでのこと。あの日はひどい不良馬場で、先行したリーチザクラウンを直後にいたロジユニヴァースが捉えて4馬身差のワンサイドレース。後方待機馬が馬場に脚をとられて苦しむ中、なんと直線大外から1頭際立った伸び脚を見せた馬がナカヤマフェスタだったのです。先行馬ペースで進む展開で、出遅れて最後方近くから不良馬場をものともせず迫力十分の追い込みでした。
更に、夏場を全休し臨んだ秋初戦がセントライト記念。セイクリッドバレー、フォゲッタブル以下に完封。改めて存在感を示しました。全力投球型という言葉は、まさにこのナカヤマフェスタにあるようなものです。年明け4月のメトロポロタンSが12月の中日新聞杯以来、4ヶ月半ぶりの実戦。好位置を楽々追走して、2番手以下を問題にしない圧勝劇。それは一皮剥けた強さでした。
全力投球型ゆえに休養明け初戦が走る、きゅう舎ではこのところを良く理解していたようです。それゆえ走ったあとは十分な回復時間と、充電期間を置いて、2ヵ月後の宝塚記念を一本に仕上げたと考えます。従って、この宝塚記念の優勝は、馬の勝利であると共に、きゅう舎の勝利でもあるのです。スタッフの皆様、本当におめでとうございました。
むろん、騎乗した柴田善騎手との息もピッタリ。気難しい気性のナカヤマフェスタに気合を入れながら中団の外で追走。直線も外目に出して、ゴール前でひと追い毎に一気に伸びてきました。
1番人気の横山典・ブエナビスタは、オオスミスパークが回避したことと、8番枠を引いた時点で、ヴィクトリアマイルのような乗り方ではまずい、と考えて、楽に先行できるアーネストリーをマークし、できるだけ好位置のポジションで展開しようと考えたはずです。それで終始内々の4、5番手で睨みを利かす形を取ったのでしょう。結果は2着に敗れたとはいえ見事な判断だったと思います。半馬身差は運としかいいようがありません。
同様に惜しかったのがアーネストリー。結果は優勝馬から1馬身差の3着でした。恐らく楽に主導権を取れる、よしんば2番手でもよし、と佐藤哲騎手は考えたでしょう。ところが、ナムラクレセントの小牧太騎手が一気に飛び出し、何かムキになって走っている様子。「いやあ、いつもゲートが遅いので、気合をつけて行ったらハミを噛んじゃって・・」と、小牧騎手。
前半が60秒ジャスト。予想以上に時計がかかった馬場で、この時計は速かったと思います。そのためラストが36秒5も要しました。つまり、2番手のアーネストリーが緩みない流れに乗った形なのです。しかも、ブエアナビスタが直後でピッタリと追走。早目に内から並びかけて来て、アーネストリーも少し厳しくなりましたが、それでもブエナビスタと半馬身差。大いに収穫あった宝塚記念でした。
昨年のグランプリ2冠馬ドリームジャーニーは、スタートで大きく外に寄れて出遅れたことが致命的。それでも大外からよく4着まで肉薄しました。ただし、馬体重が6K減の428K。馬体の成長が待たれます。
一方、2番人気の春の天皇賞馬、ジャガーメイルは今ひとつ動きが鈍って伸びを欠き8着。道悪馬場に悩まされたようです。それでも致命的な差ではなく、良馬場で巻き返しに期待したいものです。
君は見たか!?宝塚記念のナカヤマフェスタの強さを!ああ、信じて良かったナ~(^^♪
今年も夏至の日に年輪を重ねられた喜び、そして感謝(*^_^*)
生ある限り確実にやって来る誕生日ですが、私もこの6月21日、夏至の日に無事、年齢を重ねることができました。この1年、多岐に渡り支えて頂いた皆様には心から感謝を申し上げます。
思い返せば、この1年という年は、私にとって苦痛という試練を課せられた年でもありました。
あまりの腰部の激痛と、強烈なしびれによる歩行困難。歩くことも立っていることも激痛で耐えられなくなったほどでした。中山競馬場はむろんのこと、東京競馬場への駅から移動にも、JR南船橋駅から目の前の船橋競馬場にも仕方なくタクシーに助けを求めたこともあったほどでした。
中山競馬場にある診療所の先生の勧めで病院でのMRI診断。病院の整形外科の先生から下された診断は、やはり「脊柱菅狭窄症」。腰部ヘルニアと似た症状ですが、長い付き合いになる、と担当の先生から言われて、一瞬、気が滅入りましたが、どうしても手術ということはない、という言葉に勇気付けられた思いがしたものです。
病院に行く前から、このやっかいな症状について猛勉強。 私と似たような症状で手術したことがある柴田善騎手に直接尋ねたこともありました。小林久騎手にも腰痛で苦しんでいて対処方法を教えてもらいました。
カイロプラティック、整体、気功にマッサージ。漢方薬にグルコサミン等、お世話になっている方から送って頂いたこともありました。それと共に一時、休んでいたスポーツクラブでのジャグジーなどの気泡による治療も再開。
ホッとする季節が到来した4月上旬、ようやくいつもより長い時間、スムーズに歩けたのです。バンザーイを心の中で叫びながら、中山競馬場まで一歩一歩大地を踏みしめ歩いた覚えがあります。ご自分は歩き、自転車をどうぞ、と言って貸してくれたHさん、都内の駅までわざわざ車で送ってくれたTさん、Iさん、ありがとうございました。テレビに出演している女性ながら、カバンと荷物を持ちましょうと、いつも優しい言葉をかけてくれるSさん。感謝をしています。身体の不具合になったときに、人の細かな優しさが細胞の隅々まで沁み渡る思いです。
昨年の秋、11月下旬、それは突然の衝撃的知らせ。私、アベコーの予想をメーンに掲 載させて頂いている「リアルスポーツ」こと内外タイムスが休刊。
「今朝、重役会議で決まりました。アベコーさんには突然ですみません。先週で休刊になりました。力不足で申し訳ありません」と、レース部のデスクMさん。声が少し震えているようでした。新聞、雑誌の紙媒体は広告収入が生命線。折からの不況と、風俗広告の規制で苦境に立たされていたのですが、様々な起死回生も実りませんでした。
以前、私が在籍した競馬専門紙「ホースニュース馬」は、私が去ったあと休刊、倒産ということになりましたが、ネットなど時代の変化の過度期。新聞、雑誌はその荒波をモロに受けているのかも知れません。
色々とありましたが、お陰様で、こうしてまた今年も無事に1年という年輪を重ねることがで きました。
一方で、この世界には不幸にしてその尊い命を閉じることになってしまった幼き子供たち、そして青年・・。私たち一人一人がそんな不条理な世界の根絶に、努力をしなければならないと思います。1年年輪を重ねることが出来たということは、未来に向けてそのミッションを少なからず背負うということだと考えています。
いずれにしても、私の今年の願いは優しい年輪を重ねることと、自分磨きの1年にしたい、ということです。